連帯責任と解釈すれば良いのか?

 選手の不祥事を受けて欽ちゃん球団が解散を決めた。先ほど多少調べただけで詳しい経緯までは分からないのだが、解散する理由がどうもわからない。「選手に不祥事があったので解散する」というロジックには何か納得いかないものを感じる。
 今回の件に限らず、スポーツの世界では構成員一人が起こした不祥事で、集合体全体が責任を取るような形になることが多いような気がする。例えば今年の春の選抜では部員の一部が飲酒した事をきっかけに駒大苫小牧が出場を辞退したし、亜大の野球部でも部員が痴漢行為を働いた事がきっかけで一年近く対外試合が凍結された。
 このような例をあげるまでもなく、スポーツの世界では「部内で暴力行為があったから対外試合を凍結する」といった処置が良く取られるのだが、以前からこのような処置には疑問があった。
 
 「一部の部員の行動」で「部全体に責任を取らせる」というのは「連帯責任」という考えなのか、そうではないのか分からないが、仮に「連帯責任」として考えると、なんでもかんでも「連帯責任」として処理してしまうのは違うのではないか。
 というよりも法律学とか学んでいるせいなのか、体育会系の集団に属した事が無いからなのか分からないが、連帯して責任を取る、という考え方にそもそも違和感がある。
 例えば民法には「使用者責任」という考え方がある。自分の業務のために他人を使う人は、その人(被使用者)が業務中に取った行動については責任を負わなければならないというものだ。やや納得行かない部分もあるが、報償責任(他人を用いて利益を得るのだから、他人の行動には予見可能性のある行為については監督責任が生じる)という考え方からは納得いかないでもない。
 だが今回の「不祥事によるチーム解散」のようなケースはどうか。確かにチームの遠征中の出来事だったようだが、今回の行動をチームとして監督しなければいけない、とは言えないだろう。
 そもそもそういう話ではないのかもしれないが、共犯性も監督義務もない(全く無いとまではいえないかもしれないが)一個人の行為の責任が全体に及ぶのはどうも納得いかない。会社でも職務外の社員の不祥事でトップが責任を取る・・・等といったことは考えにくい。
  
 分からない分からないでは小学生なので、少し考えてみよう。遠征中の出来事なので監督責任がある、という構成は可能かもしれないが、それでは「関係ないところの不祥事」なら解散はしなかったのかという問題になる。
 「チーム」というものはつながりが一般的な集合体より密である分、「一部を切り捨てて」という考え方には成りにくい部分はある。この球団の場合は「タレントの集まり」である所に付加価値もあり、不祥事を起こした状態でのチームの維持はより一層困難だった。なので解散した、という部分も少しあるのかもしれない。(勿論的外れかもしれない。)
 
 それでも「彼一人が責任を取ればいいというものではない」という萩本氏のコメントはどうしても理解できない部分がある。
 誰かこの部分を説明できる人がいたら是非解説を賜りたく思います。