よほどの物好きか・・・

 散々やめておけと言われたのに結局見に行ってしまいました。しかも高校時代の友達を道連れに。公開初日はだいぶ混んだらしいですが、朝一だったこともあり片手で数えられそうなぐらいしか観客はいませんでした。まあ、分かっていましたがアレな出来でした。原作のリテイク程度なら笑って許してあげる気で行ったのですが、ここまでやられると2次創作レベルです。取りあえず忘れないうちに感想を上げてみます。

映画批評:Air劇場版

 取りあえず全編を通して気になった点・・・というか、唖然としたり吹きそうになったりした点。

  1. 主人公キャラ違いすぎ。始めのセリフからして既に危険そうな香りはしていたが、無気力系だったのが無駄に熱血系に。「観鈴、お前は今まで会ったどの女より美しく魅力的でオレの心を惑わせる・・・あぁ今すぐにでも抱きしめたい!観鈴!」とかおっしゃいます。
  2. 観鈴観鈴で妙に恋愛に積極的で、「友達はいないけど彼氏はいるもん」みたいなキャラに。
  3. 何故か仮面をつけた男が太鼓を叩きまくっているシーンが多数。
  4. うつむきながらゲロる観鈴が「観鈴ちんピンチ」・・・これはギャグなんですか?
  5. というか、いまどき演出で止め絵の後に波がドパーンってのは・・・。昔の東映

 等等、ネット上で指摘されている突っ込みどころを本当に抱えていた事が確認できた訳ですが、取りあえずこれは置いておきましょう。別に原作至上主義じゃないのでキャラ違っても別に何も言いません。ただこの点をおいてもこの映画は駄目です。理由は原作との比較で述べてみましょう(以下ネタばれ全開ですので嫌な人は回避してください)


 Airの原作における呪いとは、1000年前に神奈が死んだときに「母親に会いたい」と思っていた未練に起因するものです。未練を残したまま神奈が死んだ結果、彼女の生まれ変わりの少女達は人を愛すると死んでしまう呪いを負う事になり、観鈴もその呪いを受けています。なので主人公を愛した事で観鈴は衰弱していく訳ですが、最後に叔母である晴子を本当の母親だと思えた事で呪いが解けます。観鈴が神奈の望んでいた母親を手に入れる事が出来たからです。で、主人公の転生した烏(主人公は観鈴を助けるために奇跡を願いますが、結局烏にしか転生出来ませんでした)は神奈の願いが叶ったことを伝えに空に上っていく訳です。結局二人は死んでしまいますが、次に生まれ変わった時、二人はいっしょにいられるという暗示が最後の浜辺で二人の子供が手を繋いでいるシーンな訳です。端的に言えば原作は恋愛ものではなく家族の絆を求める物語だったわけです。
 一方の劇場版のほうですが、神奈が既に人を愛すると死んでしまう呪いを受けており、呪いの原因が分かりません。この映画を見て一番引っかかったのがこの点で、このせいで「観鈴は好きな人といると死んでしまうけど、それでも最後に好きな人といられて幸せだった」というセカチュウのような話になってしまった訳です。原作を忠実に再現する必要はないとしても、ここまでの曲解はさすがにちょっと認め難いです。少なくとも主人公としては観鈴を呪いから解き放つ事は出来なかった訳で、実に救いのない終わり方になっています。別にラブストーリーにしたいならそれでも構いませんが、せめて呪いが解けうる設定にして主人公に救いを与えるべきだった。それも出来ていない以上は少なくともAirと名乗る以上は駄作と言わざるを得ないです。だって、Airが伝えたかったものが何一つ伝わってこないんですもの。製作スタッフは原作を理解できていたのか疑いたくなります。
 以上やたらと理屈っぽく話しましたが、セカチュウのアニメ版だと思って女の子と見に行く分には別に問題ない・・・かもしれません。ちなみに結構カップルが多いと言う話でしたが、残念ながら男のオタしか見つけられませんでした。