ネタが無いぞ。山口じゃ駄目か? 

 乏しいネタで繋ぎます。まずはこれ

アレ様、ドジャースと契約

 メジャー挑戦と寝言夢を語り始めた時は「大減俸確定の横浜よりも良い条件で大ちゃん(落転)にでも誘われたんだろ」と思っていましたが、「国内球団と契約するのは仁義に反する」とメジャーに拘った点は正直見直しました。
 先発陣には誰かが故障でもしないと入れないでしょうから、中継ぎか?アレの中継ぎ・・・。招待選手扱いらしいですが、万一メジャーに残れたら生暖かく見守る事にします。

【西宮】モス投手、テスト入団を目指す

 誤植です。「西宮に入りたいが、とりあえずは横浜のテスト合格を目指す」と香ばしい解釈が出来ます。
 

 やっぱ無理です。選手紹介でもしてごまかします。

多村 仁(1995年6位、横浜高校

 2年連続で3割30本を達成。落合監督以来の3年連続の3割30本の期待もかかる、横浜がほとんど唯一他所に誇れる長距離砲。強打に加えて俊足、好守とまさに3拍子揃った選手。なのですが・・・
 一流の才能をもちながら怪我に泣かされてきた選手と言うのは多いですが、彼ほど故障が話題になる選手は少ないでしょう。この選手の故障の仕方は本気で常人の予想の範疇を大きく越えています。


 高校時代に甲子園出場を決め、他の選手が胴上げする中、足の捻挫で一人グラウンドでのた打ち回ったのを始まりに、プロ入り後も故障の連続。才能を認められながらもドラフトで下位だったのも故障と無関係ではないでしょう。ちなみにこの年の1位は同じ横浜高校から「超高校級」と名高かった紀田選手を指名。結局芽が出ずに早々に解雇したためしばらく横浜高校との仲がよくなかったらしいです。
 紀田選手が早くも見切られる中、多村選手は「非凡な才能を見せ付けては怪我で戦線離脱」という出し惜しみ戦法で延命に成功。金城が大ブレイクした2000年に一緒に台頭してきますが、翌年は故障で出番なし。さすがにもう駄目だろう・・・とファンも思い始めました。


 しかし彼の才能は本当に一流でした。2003年、珍しく体調が良かったこの年に18本塁打を放つと、翌年は40本塁打100打点。一気にリーグを代表する選手になり、同時に故障の非凡さも脚光を浴びるように。キャンプ中のCM撮影でジャンプして足を捻挫し、ストライキ中の握手会で右手が炎症、秋季キャンプではバックを肩に抱えたままサインして内出血を起こして離脱する等、ファンの予想の斜め上を行く離れ業を次々に見せ、「スペランカー」の異名で親しまれるように。いつしか彼の本塁打は「命を削る本塁打」と呼ばれるように。
 そして今年。オープン戦は他を寄せ付けない圧倒的な成績ながら、開幕戦は風邪で欠場。復帰後は能力の高さを見せ付け、交流戦終了時には「首位打者」「本塁打王」の二冠。チームもそれに引っ張られるように6月までAクラスを死守。


 しかしそこはスペ様。雨が降ったら風邪を引かないようにベンチに引っ込めるなど、かなり慎重に扱ったものの、結局交流戦後に「靴を履こうとしたらぎっくり腰を発症」して離脱。さらに故障中に「自動車事故でスピンしてエアバックで右目を強打」。結局戦線復帰は8月になり、その後は精彩を欠きタイトルは取れず。そういえば高酸素治療カプセルとか買ったみたいですが、役に立ったのか?


 正直、彼にとって一番難しいのは「フル出場」だと思われます。タイトルはいいですが、それは期待してはいけません。好調な時は怪我を予測するぐらいでちょうどいいです。ちなみにこの選手、オフの銭闘民族っぷりも有名で、交渉担当者に「多村の番になると胃が痛くなる」とまで言わせる始末。今年も「事故による離脱は情状酌量の余地無し」と極めてまともな判断をされるも保留を続けて結局越年。今年は自費キャンプに突入したらしいです。
 凄い選手なんですが、突っ込みどころが多すぎます。とりあえず、子供に彼のユニフォームを着せるのは縁起が悪いので辞めましょう。